講演会「現代美術 気散じを通して考える」
講師 アンソニー・ガードナー オックスフォード大学 ラスキン美術学校 教授
日時 2025年10月2日(木)午後6時〜8時
会場 東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム1(東京都目黒区駒場3丁目8−1)
使用言語 英語(日本語通訳付)
通訳 水田拓郎
申込不要・聴講無料
司会 加治屋健司 東京大学 大学院総合文化研究科 教授
主催 東京大学 芸術創造連携研究機構
協力 東京藝術大学グローバルアートプラクティス専攻今村有策研究室
東京藝術大学キュレーション教育研究センター(担当:難波祐子特任准教授)
助成 鹿島美術財団
チラシ(PDF)
概要
私たちは、絶え間なく気が散る時代に生きている。ソーシャルメディアに対する私たちの強迫観念を考えてみてほしい。あるいは、ウェブサイトからウェブサイトへ、商品から商品へと私たちの注意を誘導しようとするアルゴリズムによるマーケティング。あるいは、自宅でも、街中でも、学びや働く場でも、私たちを絶えずイメージで攻撃してくるモバイル技術と高速編集の蔓延。こうした注意への要求のすべてが、私たちの集中の仕方、情報の処理の仕方、そして周囲のあらゆるものとの関わり方を変えつつあり、それは、子どもと大人の双方で急増しているADHD(注意欠如・多動症)の診断と一致するだけでなく、それを超える広がりをもっている。私たちはいまや、「アテンション・エコノミー」のただなかにおり、現代資本主義はこれを軸に回転している。そしてその裏側には、気が散ってしまうということこそが現代世界を特徴づけているという意識の高まりがある。
このような著しいグローバルな変化に対して、私たちが文化的・社会的にどのように応答するかは、今日の喫緊の課題である。変化への対抗策として「遅さ」を称揚したくなるかもしれないが、そうすることで、いたるところに存在する、注意を妨げるツールやその課題となおも付き合わざるを得ないという現実を見落としてしまう危険がある。では、私たちは「気が散ること」を生産的な力として再想像することができるのだろうか。それとも、それは常に否定的な存在として当然のように非難される運命にあるのだろうか。このグローバルな社会変化が主に視覚的・感覚的メディアを通じて進行しているならば、私たちは、芸術家や芸術作品に目を向け、それらのメディアを用いて「気が散ること」を別の仕方で想像するような他の方法を見出すことはできるだろうか。「気が散ること」は、好奇心や共感、教育といった、芸術や人文学の中核をなすような他の枠組み——それらは「気が散ること」が通常結びつけられる無関心やエントロピー、病的な状態とは異なる形で「つながり」の要にもなっている——を活性化する手段となりうるのだろうか。
講演者
アンソニー・ガードナー(Anthony Gardner)
オックスフォード大学ラスキン美術学校教授(現代美術史)、クイーンズ・カレッジ・フェロー。2017年から2020年まで同大学ラスキン美術学校校長を務める。ニューサウスウェールズ大学で美術史博士号を取得。現代美術の文化政治を研究し、北大西洋地域以外の美術とキュレーションの実践に重点を置く。著書に『南をマッピングする 南—南の文化関係の旅 Mapping South: Journeys in South-South Cultural Relations 』(2013年)、『政治的にふさわしくない 民主主義に抗するポスト社会主義美術 Politically Unbecoming: Postsocialist Art Against Democracy 』(2015年)、共著に『ビエンナーレ、トリエンナーレ、ドクメンタ 現代美術を創り出した展覧会たち Biennials, Triennials and documenta: The Exhibitions That Created Contemporary Art 』(2016年)がある。