
アンドレ・マルローの『空想美術館』(1947)は、絶え間ぬ変容のうちに恒久の現在を生み出し美術の歴史を破壊することを目的とした書物である。この講演では、1950年代から60年代の芸術家たちが、美学的・認識論的・政治的なレベルにおいて、マルローの反歴史的モデルをいかに受容していたのかについて検討する。マルローの普遍主義的なフォーマリズムは、しばしばマルローの思想に矛盾するかたちで、さまざまに模倣されてきた。芸術家たちの手による執筆活動や展覧会、アーカイヴ、映画、研究会は、「空想美術館」というモデルを 具現化するメディウムであり、装置でもあった。アド・ラインハートにとって、北半球の旅行中に撮った記念碑の写真を展示会場で投影することは、その抽象絵画とともに、美術史の終焉 という考えを示すためのものであった。イギリスのインディペ ンデント・グループは、歴史から解放されたユートピア的な可能性を持つものとして写真図版を展示した。アスガー・ヨルンは南ヨーロッパ中心に書かれてきた歴史の中で抑圧されてきた、北欧の「空想美術館」を生み出そうとした。クリス・マルケルは、アラン・レネとともに制作した映画において、マルロー流のユートピア概念を、脱植民地化に役立てようとした。